9月26日礼拝説教概要

「約束の癒し」 ルカによる福音書8章26~39節
 汚れた霊と呼ばれ人に害を与える悪霊に取りつかれて、滅びの象徴である墓場を住まいとしていた男が、主イエスの元に来て「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでくれ。」と、叫びました(28~29)。これらの言葉には3つの意味が示されています。
1、「神の子イエス」主イエスが神の子だと認識している言葉です。主イエスの故郷の人々や12弟子でさえ、神の子と簡単に認識できませんでしたが、この男は弱さを抱えている故に、一目で分かったのです。弱さは無病な健康者より、霊的に導かれやすいという事が示されています。
2、「かまわないでくれ」光の世界に住まわれる神の子イエスと、暗闇の中にいる自分とは無関係だから放っておいてくれ、というのです。悪霊に憑かれていると認識している者に対して、主イエスは傍観者とはなりません。このような人の上にこそ主イエスの愛は直に働かれます。
3、「苦しめないで」主イエスの権威への恐れと憐れみを乞う二つの思いが示されています。これらの悲痛な叫びは神を動かす力となります。この病を生身で受け止めてくださる主イエスは、男をご自分の目の前に立たせ信頼の思いを徐々に意識させ、治癒の奇跡を起こす準備の為に「名は何というか」(30節)と敢えて問いました。そして神の御言葉の権威によって癒され、悪霊は豚の一群に乗り移って男は正気になりました。
 しかし、肉体の癒しが与えられても、誰もがやがて死を迎えます。人は神から造られた者であり、病の前にまず罪人です。主イエスの十字架の犠牲によって罪という致命的疾患を癒して頂き、永遠の命を頂き、死後、天の御国で約束の完全なる癒しが与えられます。豚が犠牲となって男が癒された姿は、主イエスの犠牲を連想させます。主イエスが犠牲となってくださり、悪霊に憑かれた私達の罪の贖いを成し遂げられた神の救いの業は実に尊いものであります。「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであった」(イザヤ53:4)。