8月15日礼拝説教概要

「神の道が見えた」 創世記45章1~15節
 ヨセフ物語のクライマックスです。ヨセフの兄達はかつてのように自己本位ではなく、弟を助ける人間に成長しているのを目の当たりにしてヨセフは心を動かされ、自分の身を明かしました(1節)。
 ヨセフは兄達を初め、人々に裏切られ、陥れられ、信じられない人間の現実の中に生きてきましたが、復讐する事を人生の目的とするのではなく、自分を迫害した兄達を助け、養うという神の約束(37章)を信じて、実現させる為に歩んだ人生です。ヨセフは自分の力で頑張ってきたのではなく、共にいてくださり、限りなく支え導いて下さった神がヨセフを力強く生かしてくださいました。
 「神がわたしをあなたより先にお遣わしになったのです。」「わたしをここ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。」(7・8節)ヨセフは事実、エジプトを支配する者となりましたが、彼は兄達に支配されたのではなく、又、運命に支配されたのでもありません。勿論ヨセフの知恵や計画がエジプトの人々を支配するものでもなく、人間を支配されるのはあくまでも神御自身です。その事をヨセフの人生を通して神が示してくださいました。
 「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(Ⅰコリント6:19~20)神を信じるヨセフの中に神が宿っていました。ヨセフが生きたのではなく、神がヨセフを力強く生かし神の栄光を現しました。人を裏切り、神を裏切り、又、神に背いて生きているような、何者でもない私達です。しかし、私達の只中に十字架に架かられた主イエスがいらしてくださり、その恵みに見出され、既に神の御業にこの身をもって参与できるようにさせて頂いています。このつたない命が少しでも用いられる事は大きな喜びであり感謝な事です。