8月1日礼拝説教概要

「キリストこそ、私達の平和」 エフェソ信徒への手紙2章11~22節
 イスラエルの人々は神を知らない異邦人に対して軽蔑・差別等という壁を造っていましたが(11~12節)、「キリストの血」によって敵意という壁を取り除かれました(13節)。平和を生み出すものは条件でも討論でもなく、イエス・キリストによってのみ存在し得る事を示しています。
 私達も敵意を抱き壁を築く時があります。敵意とは罪から生まれるもので例え自分が正しいとしても、その事が敵意となって現れる時に罪に陥る事になります。罪にまみれ平和のない私達の元に主イエスはおいでになりました。そして御自身の血の代価によって「二つのものを一つに」してくださり、十字架の死において敵意を滅ぼされました(14~16節)。その結果、神と人との和解・人と人との和解を成し遂げられ、平和の内に生きる新しい命に生きる者とさせてくださいました。教会はこの恵みと憐れみ深い神の招きに応じる者の集いです(18~22節)。
 このように私達は神から招かれて「かなめ石であるキリストの御身体」(20節)なる教会に加えられており、後から教会にお邪魔させて頂いている存在ですから教会を貫いているのは私達の個性でも相性でもなく神の御心です。違う者同志が一つになる事が可能なのは神の御心に目を向け、キリストの平和の原点に立ち返る時です。「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。」(コロサイ3:15)主イエスが十字架の死に至る迄、御自身の権利を主張せず身を低くされて平和を造られました。キリストの平和なしに組織としての教会を維持する事は教会としての命を失ってしまいます。教会にお邪魔させて頂いている私達はキリストの真の平和を造り出していく使命が託されています。弱い私達ですが聖霊の助けによって権利を主張せず自我が十字架に呑み込まれて使命を全うさせて頂きましょう。