6月20日 礼拝説教概要

「神の福音」 マルコによる福音書1章14~15節
 主イエスが伝道活動を開始されて、その第1声は<「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」>でした。これが、主イエスの活動の最初のお言葉でしたが、ここに主イエスのご生涯の全てが集約されています。
 「時は満ちた」とは、神の時が到来した、ということです。約束の時・約束の成就の時、人々が待ち焦がれていた時です。そのことを、主イエスは「神の国の到来」を意味する、と言われます。神の国の到来は、人々の待ち焦がれていたことでした。「神の国」とは、神のご支配のことであり、神のみ心が行われることだからです。人間は、神以外のものに支配されることで、多くの苦しみを負わされます。しかし、主イエスは、喜ばしく、高らかに、神の国の到来を告げるのです。
 そこで、主イエスは言われます。「悔い改めよ」と。悔い改めをもって、神の国を受け入れよ、と言うのです。神の国到来の告知は、悔い改めを要求します。それは、神に背き、背を向けていた者たちを、神の許へと招くことだからです。神の国・神のご支配は、物理的な力による支配ではありません。金銭欲や名誉欲をくすぐって支配するものでもありません。罪の赦しによるご支配です。私たち人間は、神以外のものに支配されて苦しむのですが、その根源は私たちの罪にあります。私たちは、主イエス・キリストの十字架による罪の赦しを受けて、神のもの(所有)とされました。神のご支配・神の国に受け入れられたのです。
 このように、神の国到来の告知は福音(喜ばしい知らせ)に他なりません。マルコ福音書はここで、福音を「神の福音」と表記します。この主イエスの伝道第1声全体を指して「神の福音」と言うのです。福音は神に由来するものであり、神のためのものであるということです。福音の中心は人間ではなく、神ご自身であるということです。神が神であられることに福音の本質があります。そこに人間の幸いもあるのです。