2月28日 礼拝説教概要

「あなたは礎の尊い石」 Ⅰペトロの手紙2章1~10節
 イエス・キリストは私達が罪から救われて新しく生きる為に人々に軽蔑されても見捨てられても自ら十字架に架かってくださり「人に捨てられた石・隅のかしら石」(4節)となって教会の礎となってくださいました。信仰者は一人でキリストを求めて歩むものではなく、キリストの体なる教会に結びつく事によって、キリストの命に生かされてそれぞれが組み合わされて成長させて頂きながら歩むものです。
 「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。」(5節)と記されている通り、主イエスは罪深い人間という岩から私達を切り出して、神の民としてくださり、神がお住まいになる教会の中に既に備えられている場所に私達をぴったりとはめる為に組み合わせてくだささいます。その為に牧師も信徒も自分の中の尖っている削るべき所は神が削ってくださり整えられていきます。削られる痛みを伴いますが、神の目的の為に光輝く価値ある道具とさせて頂く為であり、神がお住まいになる神の宮としての教会が建て上げられていきます。ダイヤモンドの原石は一見ゴツゴツした価値のないような石ですが削り磨かれて光り輝く価値ある美しい石へと造り変えられます。同じように人はひたすらキリストの体に結びつく事によって尊い生ける価値ある輝く石に変えられて行きます。その過程を愛する兄弟姉妹の姿を通して見せて頂く事は私達の大いなる喜びです。
 永遠の神を信じ救われた私達は祭司役つまり、自分自身を神にお捧げして神に仕える為に神の民とさせて頂きました(9~10節)。旧約時代、祭司は耳・手・足に血を塗る事によって清められてその任に当たりましたが、今、私達は金や銀よりも尊いキリストの十字架の血潮によって私達を清めて神の為に仕える者としてくださいました。本来私達が神に捨てられる石ですが、救い出され神の働きの為に用いられています。今日も神は一つも欠けてはならない尊い石として、私達を求めております。