2月7日 礼拝説教概要

「天の露を仰ぐ人生」 創世記27章18~40節
 人生には二つの道の選択があります。一つは神の元で全てを神から与えて頂き人生の収穫を頂く道(27~29節)、もう一方は神から離れて自分で剣を持って戦って行く人生です(39~40節)。
 イサクは年を重ねて死を自覚し、当時の慣習により跡継ぎを呼んで双子の兄エソウに祝福を与えようとしていましたが、弟のヤコブは以前兄を騙したように今度は父と兄を騙してまでも、神からの祝福を奪い取ってしまいました。ヤコブの人生のテーマは大地が天から露を頂いて収穫を得るように、何がなくとも天を仰いで神から露=恵みを受ける事でした(27~29節)。2度も兄を騙し更に年老いた父親をも騙してまでも、神からの祝福を奪うというヤコブの生き方は、何とひどいと思わされます。神学者も様々な見解を出していますが結局答えは出ません。しかしヤコブに関して記されている事は、神に対し人に対して顔向けできないような罪人にも関わらず神を求め続け、それに対して神は祝福されたという事です。
 「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」(ロマ10:13)と主イエスは良い行いをする人、誰から見ても善人が救われる、というのではなく、只「主の名を呼び求める者」が救われると語っております。主イエスが私達の罪の為に犠牲となって架かってくださった十字架は、人間の深く重い罪をも打ち砕き、神を呼び求める者を救ってくださいます。ヤコブの如く人を騙し、罪を犯し続ける私達人間を神は今日も憐れみの中で待っておられます。神のよって造られた人間だけが、神の息を吹きかけられ(創2:7)、日々神の創造の業を発見し、驚き、賛美する事ができる唯一の被造物ですから神を仰ぎ見て、祝福を求めるのが人間本来の姿ではないではないでしょうか。神を仰ぐ人生の中で罪人は清められ育てられていきます。人生の収穫は自力では得る事はできません。天の露を頂きながら永遠の命に繋がる命を求めて参りましょう。