8月30日 礼拝説教概要

「神が示す約束の地」 創世記12章1~8節
 アブラム(後のアブラハム)は信仰の父として称えられていますが、彼は異教徒の家庭に育っており、偶像と迷信の中で成長したと推察されますから(ヨシュア24:2~3)私達と変わらない人であったと言えます。 そのような彼は行き先も分からない神が示す地に行きなさい(1節)と言う神の声に聞き従って、今迄の知識・経験・財産を捨てて保障されない無の中に神を求めていく旅を歩み始めました。
 大きな重荷であったと思いますが、神に重荷を多く託す者に神は多く支えてくださり、小さく託す者は小さな支えしか経験できません。重荷を委ねながら神の豊かさに与かり自分も豊かにされ、信仰者としての醍醐味を味わって行けます。
 そうして歩んだ地が彼によって祝福の基となるという約束を頂きました。12:1~3には「祝福」という言葉が5回出てきますが、2:3~11章迄「呪い」という言葉が5回出てきます。人間の罪ゆえにもたらした呪いがアブラムを通して祝福されていくという事です。
 彼のように神の言葉によって軸がしっかりしている人が一人でもいるなら、自ずと廻りに影響力を与え、廻りが支えられて祝福されて行きます。私達もそのように祝福の基として社会の中に置かれています。
 神が示された地は先住民がおり、やがて決別するようになる甥のロトも一緒でしたから幸せ一杯の地ではありませんでした。神はこのように私達をも問題がある地に遣わしますが、そこに共にいてくださる神を証しする為に遣わされます。
 困難な中にある時にこそ神の声を聞いて神を証していくのが信仰者の歩みです。彼は度々移動して行きますが、その都度祭壇を築いて主の御名を呼びました(8節)。行く先々で途方に暮れて問題を担い切れないから「神様、助けてください」と求めました。
 私達の歩みも不確かな歩みですが神の助けを求めた時、祝福の道が開けている事を必ず示してくださいます。その支えに感謝するものでありたいです。