8月2日 礼拝説教概要

「神の涙」 創世記8章1~22節 
 試練の中でお手上げ状態になっても神を信じている者にはギブアップはありません。その中で必ず神が御心に留めていてくださり、御業を着々と進めていてくださっています。「あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ29:11)との如くです。
 ノアは洪水の中、行き先見えずその大海原を漂うしかありませんでしたが神は御心に留めてくださり雨がやみ、水は地上から引いていきました(1~4節)。舟から出たら水に呑み込まれるだけですが、見守っていてくださる神を信じて舟の中に留まり続けた結果、気付いたら山の高い頂きに上げられていました(20節)。試練の中にあって神を信じ続ける時に恐れは取り去られ、経験した事のないような高い世界に引き上げられていきます。これが信仰の世界の素晴らしさです。こうして神が与えてくださる将来と希望の計画が成され人生は開かれて行きます。
 洪水後のノアの新しい人生の一歩は祭壇を築く事から始まりました。救われた感謝と共に神の怒りを免れ審きを通って赦された感謝です。審きと赦しとは「人の心は悪い、根から悪いから呪わない」と、矛盾しているように思えます。良くなったから呪わないのではなく、根から悪いから呪わない、という神の痛みを伴った赦しです。罪から救う為に人に審きの痛みを負わせるのではなく、神が犠牲となって痛みを負う事以外にないという決意で、この言葉の背後にはイエス様の十字架があります。神の痛み・涙があるから私達は呪われる事なく「地の続く限り・・」(22節)と永遠の救いを保障されています。
 
私達の人生は春もあれば猛暑もあり、昼もあれば辛い夜もあります。しかしその全てが呪いではなく収穫に繋がっています。何の取り柄もない罪の中にいる私達を憐れんで収穫の実を結ぶようにと、今日も神の涙の命の中に引き入れられています。