5月24日 礼拝説教概要

「あなたはどこにいるのか」 創世記3章8~21節   
 
 本日の箇所は人間の弱さ・本質を現している箇所です。
エバは蛇の巧みな言葉によって神から禁じられていた実を食べてしまいました。
 まずエバと蛇の問答を見てみます。神は「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」と言われました。しかし蛇は「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」と、神の言葉を曲げて全面否定して、巧みにエバに問いかけています。エバは神の戒めを正確に答えずに余計な命令を付け加えて「・・・触れてもいけない、死んではいけないから」と答えました。
 正しく聴く事、答える事の難しさを見ますが、これは人間の心の中でいつでも繰り返される問答でもあります。ついにエバは禁じられた実を食べてしまい知恵がつき目が開けて、神に向けていた目が自分に向けられ、裸である事に気付いてしまいました。結果、今迄神は絶大なる味方であったのに、神の存在が恐ろしくなり、敵になってしまいました。すると神に対して無防備と思い、神を避けて自分を隠すようになってしまいました。これが罪というものです。
 罪とは犯した過ちを指すものではなく、神から逃げる事です。罪によって誰かに追い詰められるのではなく、逃げて言い訳をして何とか正当化しようとして、自分の罪に追い詰められて苦しむのです。
 そしてアダムとエバの如く、すぐに破れてしまうような、いちじくの葉で自分を隠そうと必至になってしまいます。
 主イエスの弟子ユダは自分の罪を神の前に出す事ができずに、罪に苦しめられ、自分で自分を裁いて滅びの道を選んでしまいました。
 私達はそうではありません。イエス・キリストの十字架によって罪赦され、キリストの衣を着せてくださり、「だれでも私のもとに来なさい」と神の元に招いて下さっております。 「あなたの恋人はどこに行ってしまったの。だれにもまして美しいおとめよ。あなたの恋人はどこに行ってしまったの。一緒に探してあげましょう」(雅歌6:1)  「どこにいるのか」と赦しの問いかけをしております。
 今一度、神の前に出て悔い改め、赦されている事を確信し感謝したいものです。