4月19日 礼拝説教概要

「後でわかったあの事」 ヨハネによる福音書21章1~14節 
  
キリスト者は主イエスの復活について理解し認めただけでなく、日常生活に適応していく事が力となり、信仰生活に勝利を与えます。その事をポーロ・リースという説教者は人は握りしめられたこぶしによってではなく、しがみつく手によって得るものだと、述べています。自らの経験や知識等に固執せず、神の御手に飛び込む事ではないでしょうか。
 弟子達は主イエスの十字架刑を目の当たりにして、生きてきた目標を失いかつて住んでいたガリラヤ湖に戻り、今迄の経験と知識に期待し漁師に戻って一晩中漁をしましたが、一匹も獲れませんでした。その時、復活の主が傍らに立ち「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」(6節)と声をかけてくださいました。すると引き揚げる事の出来ない程の大漁にも関わらず網は破れていませんでした(11節)。
 主のお言葉を疑わずに従う者には、破れない網に象徴されていますように、復活の主の充ち溢れるほどの恵みと、引き裂かれない強さと能力が与えられます。
 弟子達のように、私達は今迄の自分の経験や知識では乗り越えられないような暗黒の状況に置かれる時があります。しかしそのような究極の時だからこそ「舟の右側に網を打ちなさい、そうすればとれるはずだ。」という、主からの祝福のお声を聞かせて頂けます。それは自分の限界を超えた場所に身を置く事を可能にしてくださるという事を示しています。
 人は何をするにも100%の確信はありませんが、自分の知恵や経験、失敗を超えさせて頂く為に復活の主イエスが傍らに立ち、豊かで確かな収獲を得る事ができるような命を与えてくださっています。弟子のペトロは主イエスを裏切る大きな罪を犯し失敗続きで、自分限界を見ていた事でしょう。しかし、復活の主の御声に聞き従い主イエスの証人となり、彼の大胆な説教で一日に3千人もの人が救われました(使徒2章)。この出来事は誰にも想像できない事でした。
 
 復活の主の力とはこのように人の限界を超えた所で、後になってから分かるような仕方で現れます。私達もこの大いなる収獲に期待し、主イエスの御声に従って命の網を精一杯打ち続けて参りたいものです。