4月5日 礼拝説教概要 佐々木良子牧師

「汚れた足を洗ってくださるお方」  ヨハネによる福音書13章1~11節 
 
 教会がこれまで語り続けてきた事は、イエス・キリストの十字架と復活です。この出来事によって私達の救い、喜び、平安、慰め、平安、生きる力、希望等、全てが与えられています。
 「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(1節)
主イエスが十字架にお架かりになる最後の晩餐の時、主イエスの愛が頂点に達しましたが、弟子達は主イエスを裏切る考えを持っていました(2節)。
このような問題を抱えた弟子達を神が自分に任された事を知って、主イエスは弟子達の足を洗われました。今、正に十字架に架けられようとする時に、彼らの問題を突き付けるのではなく、又「こんなに愛している」と言う事なく、黙って跪いて、奴隷の仕事である足を洗ってくださったのです。
 人は問題点を指摘され、注意されたら変わるような者ではない事を、私達は自分を見ても分かるのではないでしょうか。罪人の何者でもない私達の救いの為に、主イエスが汚れた私達の足を洗う、という奉仕してくださるお姿を見せて頂く中で私達は変えられていきます。
 「奉仕する」とは汚れ・埃をくぐる、という意味ですが、埃を避けて綺麗な空間ではできない業です。時には傷つき、痛み、汚れる事がありますが、それだからこそ、そこに真実があると言えます。
 ペトロはこの事を悟る事ができず、足を洗われる事を拒みましたが、この事によってのみ、主イエスと繋がっている事を後で知る事になります。私達は神との関係を結ぶ事においてのみ、価値ある者で、且つ尊い存在であります。神から離れた人間は何者でもありません。主イエスがこの上なく私達を愛してくださっておりますから自ら十字架にお架かりなり、全ての罪を赦してくださり「あなたは高価で尊い」と語りかけてくださっています。
 関係がなくならないように、主イエス自らが汚れて私達の足を黙って洗って私達をつかんでいてくださいます。この関わりがあるからこそ、私達は神と結ばれて、かけがえのない命に生かされている事に心から感謝いたしましょう。