悔い改め

悔い改めってなんだろう?
聖書には「悔い改めなさい・・・」とたくさん書いてあります。
神様の前に出て、自分を見つめて罪を認め、
そして神様に告白して許していただくことです。
自分の罪を認めるという事は苦しいことです。
見たくない自分を見つめる事です。
見たくない自分を見た時、人は言い訳を言いたくなります。
本当は私は良い人なのに、周りがそうさせた、とか
本当は違うのにはめられてしまったから、こうなったとか。
いつも心の中で言い訳をしていませんか?
少しでもそのような心が残っているなら、
本当に自分の罪を見る事は出来ません。
罪を見ないかぎり、いくら神様の前に「ごめんなさい」と言っても
それは許してくださいません。
そう考えると悔い改めって、そう簡単にできるものではありませんね。
本当に自分の罪と向き合うことができるような
素直な人間になりたいものです…。
文責:副牧師

心の充電

先日受験ただ中の高校3年生のお友達が教会にやってきました。
「あれ、ひさしぶり~。試験の真っ最中にどうした?」
「先生、充電しにきた。」
受験勉強のために、高校3年生になってから、殆ど教会には、こられなくなっていました。
受験が終わるまで、教会に来ることは私は無理だろうと思っていましたので、
突然訪ねてくださり、とっても嬉しかったです。
そう、教会は自分がとっても大変な時、心の充電をする事が出来る場なのです。
私達はいつも色々なことにあくせくし、心が忙しいのです。
心が忙しい時、どんなに頑張ってみても、もっと忙しくなるばかりです。
その受験生は1時間頑張って勉強するより、
教会に来て一緒に聖書を読んでお祈りした事によって、
それ以上の収穫を得て、また、新たな力を頂いて帰っていきました。
私達も心の充電をしましょう。
文責:副牧師

受験勉強

今、正に受験のただ中にある方が大勢いらっしゃいます。
センター試験も終わり、それぞれが自分の今の力を判断できた事と思います。
一生懸命勉強しても、ドキドキしてしまって、頭が真っ白になってしまって、
実力を出せなくて悔しい思いをしている方もいらっしゃる事でしょう。
反対にあまり勉強しなかった割に結構うまくいった、
という方もいらっしゃる事でしょう。
人生なかなか思い通りにはいかないものです。
思い通りにならない方が多いかもしれません。
そんな時、私達は落ち込んでしまったり、自分を攻めたり、
反対に周りの人や状況に怒りを覚えたりするものです。
でも それでは良い解決にはなりません。
人生、成功する人は、結構うまく思い通りにいった人ではなく、
失敗を経験した人が勝利を得るものです。
失敗したときに怒りや後悔で終わってしまったら、
それは勝利につながりません。
失敗を恐れる必要はありません。
たくさん失敗して、そこから学ぶ事ができたら、
それは大きな成功につながっていきます。
失敗から目を背けず、失敗を見つめ直す事ができたら、
必ずそこには勝利があります。
私達の人生はいつも受験勉強のようなものです。
でも神様は落とすためにテストをするのではなく、
私達が成長するためにテストをされます。
積極的にそのテストに挑戦していきたいものです。
文責:副牧師

迷子にならない私達

お正月も終わり、世の中はまたすっかり平常にもどりました。
年末年始に旅行にでかけた方もいらっしゃったと思います。
その為に色々な準備をされたのではないでしょうか。
まず、目的地にはどんな楽しみがあるのか、どのようなルートで行くか。
そこで何をするか、何を持っていこうか…etc.
考えるだけでも楽しいですね。
私達の人生も同じです。
自分がどのような所に向かっていくのか、そこにはどんなことが待っているのか。
しかしながら、楽しみよりも、心配や不安の方が大きくて、楽しみが負けてしまう時の方が多いように思ってしまいます。
「イヤ、そんなことはない、私はいつも楽しみで一杯だ」
と言える方は、幸せな人ですね。
いつも楽しみで一杯と思える人は、自分は迷子にならないで、
ちゃんと無事に目的に着ける、という自信があるからだと思います。
途中の色々なことにも惑わされないで、その先にある楽しみの方に目を向けていられるなら、きっと私達の人生は、楽しくいくのではないでしょうか。
迷子にならない為に、神様は私達にイエス・キリストを与えて下さいました。
いつも私達の前を歩いてくださり、
「こちらにいらっしゃい」と呼んで下さっています。
イエス様の後についていきましょう。
文責:副牧師

明けましておめでとうございます

新しい年がはじまりました。どのようなスタートでしたか?
1年の計は元旦にあり、と言いますが、色々と目標を立てた方も多いのでは…
しかし、聖書の箴言19章21節という所に
 「人の心には多くの計らいがある。
  主の御旨のみが実現する。」

というお言葉があります。
私達はあれもしたい、これもしなくてはと思います。
そして実現のために一生懸命やってみようとします。
でも3日坊主で終わったり、やってみたけどできなかったとなって、
がっかりしたりします。
でも、できなくても、がっかりする必要はありません。
計画倒れになっても、自分を責めなくてよいのです。
本当に実現することは、神様がもう既に決めてくださっていることです。
裏返していうなら、自分が思っていることが実現しなかったということは
それは自分にとって必要なことではなかったからです。
自分の思いが成るのではなく、神様の思いが成るのです。
さて、今年は神様がどのようなことを一人ひとりに成して下さるでしょうか。
楽しみですね。
文責:副牧師

新年おめでとうございます

「わたしたちは神に希望をかけています。」
コリントの信徒への手紙二 1章10節
御言葉を頂いて、新しい年を共にスタートできました。
希望は全て神様から頂けることを確信して今年も共に
歩んで参りましょう。
皆様の上に、神様からの大いなる惠みと祝福を心から
お祈り申し上げます。

きよしこの夜

クリスマスになると必ず歌うのが『きよしこの夜』です。
この曲を知らない人はいない、と言って良いくらい有名な曲です。
この歌が世界中で歌われるようになったのは、ちょっとしたハプニングがきっかけでした。
およそ200年くらい前、オーストリアのオーベンドルフ村で起こった出来事でした。
ピッカピッカな教会に、お腹を空かせた一匹のネズミがいました。
パンひとかけも落ちていなかったので、仕方なくオルガンの中の部品をかじってしまったのです。
さあ、これからクリスマスの礼拝が始まろうとしているのに、オルガンは音が出なくなってしまったのです。
オルガン奏者は困って、神父様の所に言って、わけを話しました。
神父様はしばらく考えて、すぐに短いクリスマスの詩を書いてくださったのです。
「これにメロディーを付けられませんか?」
オルガン奏者はさっそく優しいメロディーを作りました。
ふたりは一緒に練習を始め、神父様がギターで伴奏をして新しい歌を礼拝で歌いました。
人々はすっかり感動して聴き入り
「これは特別のクリスマスプレゼントだ。この曲は、間もなく世界に広まるだろう」
と思いました。
これが『きよしこの夜』の誕生です。
文責:副牧師

クリスマス行事のお知らせ

クリスマスはイエス・キリストのお誕生日です。
教会では、クリスマスをお祝いするために、諸行事を予定しています。
どなたでも心からお待ちしています。
ぜひ、お出かけ下さい。
2008クリスマス礼拝チラシ
↑写真をクリックすると、大きな画像がご覧いただけます。
12月7日(日) アドベント第2主日
    10:30 礼拝  オルガン演奏
    19:00 クリスマス賛美の夕べⅡ フルート演奏
12月14日(日) アドベント第3主日 
    10:30 礼拝  ハンドベル演奏(大人による)
    19:00 クリスマス賛美の夕べⅢ デュエット
12月21日(日) クリスマス礼拝 洗礼式 転入会式 聖餐式 
    10:30 礼拝  ハンドベル演奏(中高生による)
    19:00 クリスマス賛美の夕べⅢ
12月24日(水) クリスマスイブ礼拝
    19:00 聖歌隊 ハンドベルクワイヤー デュエット

チャペルコンサート 

去る10月12日、広島教会の聖歌隊、植村牧師をお迎えして、特別伝道集会としてチャペルコンサートが持たれました。
61名の新しい方が来てくださり、想像以上に内容の濃い、素晴らしい恵まれた集会となりました。
チャペルコンサートの内容は、音楽と聖書朗読とスクリーン映像とが織りなす福音メッセージそのものでした。特に、十字架と復活の恵みが心に迫って来て、人々に感動を与えたと思います。
現代語に訳されたみ言葉の朗読は、理解しやすく、とても聞き取りやすい響きでした。
また、大音響のオルガン演奏は、とても迫力があり、色彩豊かで、全知全能の神様の素晴らしさを讃美していたように感じられました。
オルガン、聖歌隊の指揮をされた日山かおるさんの、神様に対する思いと、前向きで明るい個性が現われていたと思います。
信仰をもって讃美する聖歌隊の、ひとりひとりの顔には輝きがあり、かもし出されるハーモニーに暖かさと力強さが感じられました。
所どころに出て来る独唱は、心のこもったものでした。
そして、スクリーンに映し出される映像は、特に十字架の悲惨さには、涙ぐむ人も多かったのではないでしょうか。
主イエスの十字架が、私たちの罪の身代わりであった事を、多くの人に伝えることが出来たと思います。
聖歌隊 

植竹牧師は『キリストが呪いとなってくださった』との題目で渾身のメッセージを執り継いでくださった。
特に印象深かった点は、取り返しようのない私たちの罪を「誰が赦してくださいますか」との問い掛けであった。
主、イエスキリストしかおられない。
その問い掛けに対して、集われた人々の魂は、聖霊による大きな迫りを感じたに違いない。
           東海林主任牧師 教会会報シャローム(平安)31号掲載記事より引用

先生
最後の讃美は太鼓をならし、喜びを体全体で表現して、神様の栄光をあらわす頌栄のようでした。
祝福されたすばらしい時をもつことができましたこと、感謝しております。

文責:百&千

お祈りって?

みなさんは教会に来て、一緒にお祈りをしますね。
お祈りは神様と心を通わす事ができる、ただ一つの方法です。
神様と心を合わせて、日々過ごす事が私達の本当の生き方です。
みなさんは、誰に心を合わせていますか?
お友だちだったり、家族だったり、いろいろいらっしゃるでしょう。
しかし、相手の心が変われば、つられてしまったり、混乱することがあります。
いつもどんな時も変わる事のない方が、神様です。
そしていつも私達の味方です。
その神様にぜひ、お祈りしてみて下さい。
お祈りってできない、と思う人もいらっしゃると思いますが、
特別なお祈りの仕方があるわけではありません。
自分の心にある事をそのまま、言葉にすれば良いのです。
お友だちにお話をするようにすれば良いのです。
苦しいときには、どうして苦しいのですか?と聞けばよいのです。
文句でも何でも神様はOKです。是非チャレンジしてみて下さい。
必ず、神様はこたえてくださいます。
文責:副牧師