もうすぐアドヴェント

教会にとっては、11月に入るともうクリスマスまでノンストップ。
まず、11月の第1週に「聖徒の日」というのがあります。
これは、その教会の創立から今までの教会員で
すでに天に召された人たちを偲んで、
共に礼拝を献げる、というもの。礼拝後に墓前礼拝もします。
第2週は「子ども祝福式」 教会版の七五三ともいえるかも。
ただし、男女や年齢は関係なく、おおむね小学生くらいまでを対象とします。
イエス様が、子どもを抱き上げて祝福された故事にちなんで、
牧師が子どもの頭に手を置いて、祝福を祈ります。
第3週は何もない年もあって、
第4週が収穫感謝礼拝。
聖書由来の行事ではありませんが、(教会史由来かな?)
果物や野菜を持ち寄って分かち合います。
で、12月に入ればアドヴェント。日本語では「待降節」
待降の「降」は「降誕」の「降」ですね。
イエス様がお生まれになったことを、
天から世に降りて来てくださった、ということで、
降りる、という字を使います。
この日を待つ期間がアドヴェントです。
クリスマス礼拝から4週前の日曜日(今年は12月2日)から始まります。
世の中では、ハロウィーンが終わるとすぐにクリスマス仕様になりますが、
教会ではアドヴェントを待ってツリーやリースを飾ります。
アドヴェントクランツに4本のキャンドルを立てて、
1週ごとに火を灯すキャンドルを増やし、
全部に火が灯ればクリスマス。
わざわざ時間をかけ、手間をかけて、待ち望む気持ちを表します。
小松川教会でもたくさんのクリスマス行事が予定され、
皆さん準備に追われています。もちろんわたしも。
でも、できるかぎり、一回一回を大切に、
そこにいる人たちとクリスマスを喜びたいと思っています。
明後日からいよいよアドヴェント。がんばろ!
澤田直子

ハロウィーンは!

ハロウィーンは教会行事ではありません。
教会学校やミッションスクールでは、
今でもハロウィーンを行事として取り入れているところがあるのかな?
でもハロウィーンはもともとから民俗行事であって、
宗教的なものではないんです。
じゃあ、どうしてキリスト教会とハロウィーンが結びついてしまうのか?
宣教師が日本に来て、福音伝道をしようとした時に、
強力な宣伝方法の一つが「英語教室」でした。
(今でも、モルモン教では無料の英語教室を行っています。)
そして、英語教室では当たり前ですが欧米の習慣を取り入れ、
何だか少しだけハイソな感じ、憧れ的な感じを提供していたわけですね。
わたしの友人の一人は、カトリックの女子高で3年間経験した
「花の日」のキャンプファイヤーのロマンティックさがすごかった、
女子高生の心は鷲掴みにされた、と懐かしんでいましたが・・・
「花の日」とキャンプファイヤーに、あまり関連性ないしなあ。
まあ、ことほどさように、
日本人が欧米を感じて憧れて教会に来てくれるように、
江戸時代から刷り込まれて来た、キリスト教を敵視する思い込みを
解除する方法の一つとしてハロウィーンを利用してきたのかな、
とも思います。
日本では、あれよあれよという間に、
新しいハロウィーン文化ができつつありますね。
①夢と魔法の王国の、仮装大会。平和で可愛いお子様仕様。
②プリンもケーキもみんなカボチャ。時期が冬至に近いせいか抵抗感は少ない。
③渋谷に象徴される悪乗りの大騒ぎ。ハロウィーンというよりは野外無礼講仮装パーティー。
20年くらい前に、同じ年ごろの子どもがいるご近所さんと示し合わせて準備をし、
夕方、子どもたちが「トリックオアトリート!」と訪ねまわっては
(ズボンに尻尾つけて、ほっぺたにヒゲ描いた程度に仮装?させて)
飴チョコもらって喜んでいた、あの素朴な光景を思い出します。
ハロウィーンは教会行事ではありません。
キリスト教会の10月31日は「宗教改革記念日」です。
だからといって、キリスト教主義の幼稚園や保育園で
マルティン・ルター!ってわけにもいかないですものねえ。
前任地の教会でも、ここの保育園でも
英語のクラスの中で「トリックオアトリート!」やってます。
世に流されることなく、かといってけんかもせず。
難題だ。
澤田直子

行ってきました、三宅島

10月14日、夜10時35分出航の橘丸で、
三宅島に行きました。観光じゃなくて、
武牧師が三宅島伝道所の夕礼拝奉仕に行くので、
一緒に行ったのです。
もしものことがあるといけないので、
夫婦二人で飛行機や船には乗らないようにしてきました。
が、三宅島伝道所の信徒さんは二人。
そして今、建物はなく、常駐の牧師もいません。
東京教区東支区が、応援に力を入れていて、
何人かの牧師が交替で月に一回、礼拝奉仕をしています。
東支区では、牧師だけでなく、誰か一緒に行ってほしいと、
毎回2人分の旅費を予算化して用意しています。
今回も何人かの方をお誘いしたのですが、
興味を示してくださる方は何人かおられたものの、
日程が合わなかったりして、結局は
「誰もいなければ、わたしが行きましょう」となりました。
行って良かったです!本当に。
船に6時間半(帰りは7時間半)乗る経験もさることながら、
「島」というところに行くのは生まれて初めてでした。
しかも、20年おきに火山が噴火する、という島ですよ。
一周40キロくらいの島の、真ん中部分は立ち入り禁止区域、
広範囲に、真っ黒の溶岩が流れて固まっていて、
草一本ないところもあるし、あれは実際に自分の目で見て、
そこの空気を吸わないとわからない類のことでした。
驚いたのは、海水浴場の砂浜が真っ黒だったこと。
そもそも火山の噴火でできた島だから当たり前なんですけど、
海、という言葉に対して、白い砂浜と青い海という
ステレオタイプのイメージができあがっていたわたしには、
(海のない栃木県で生まれ育ったもので・・・)
見たこともない、想像もしなかった光景でした。
これから三宅島伝道所はどんなふうになって行くのか。
小松川教会に来なければ、関りのなかったであろう、島の伝道。
重い祈りの課題をいただいた思いをもって、帰ってきました。
船の出航は電車と違ってゆっくりです。
小雨の中、傘も差さないで桟橋に立って見送ってくださった
信徒さんの姿。忘れがたい2泊3日でした。
澤田直子

運動会のこと

10月6日土曜日!
白百合保育園運動あそびが!
宇喜多公園で行われました!!!
2年続けて雨で、宇喜多小学校の体育館をお借りしていたので、
今年こそは晴れてほしい、と願っていたのですが、
不肖わたくし、筋金入りの「雨女」なのです。
折あしく台風の影響で・・・前の日の午後遅くまで雨が降り、
「これはダメかも、いやダメだろう・・・」とほぼあきらめたのですが。
朝になったら、すっきりと晴れていたのです。
久しぶりの戸外での「運動あそび」ああ、良かった。
やはり開放感があり、マーチングも、綱引きもリレーも、場所を広くとれるし、
写真を撮る保護者の方たちも、自由にあちこち動けましたし、
本当に良かったです。
ただ、だんだん暑さが厳しくなり、こんがりと日焼けしてしまいました。
次の日曜日、教会の方々に「先生、二人してどこ行ったんですか?ハワイ?」
と冗談半分に聞かれて、「宇喜多公園ですぅ~」
でもいいんです。外でできたから。
運動あそび、「はこぶね」(年長児)クラスの子どもたちは、
何をやるのも、もう、これが最後。気合が入っていました。
0歳1歳の子どもたちは、きっと覚えていないだろうな、とは
思いますが、でも、心の底のほうに、
楽しさとか緊張とか、「思い」が何かしら残ると思います。
子どもが大きくなる、って当たり前のようですが、
その当たり前の中に祈りがあり、感謝があり、ドキドキわくわくがある。
丁寧に生きよう、という気持ちにさせられます。
・・・って、実際に子どもと接している時には、それどころじゃないんですけどね。
澤田直子

あなたの罪は赦された

☆6月3日の中高生礼拝より☆
ルカによる福音書5章17~26節p110(新)

《聖書の箇所を読んで、一緒に考えてみましょう》
1)イエス様は、誰の信仰を見て病の人を癒されましたか。
 (18~20節)
  
2)23節を読みましょう。
あなたは、どちらが易しいと思いますか?
3)26節、見ていた人々の反応はどうでしたか?
答えは↓続きにあります。

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子どもを育てるのは?

小松川教会には附属白百合保育園があります。
2016年4月に赴任してから、
火曜日から金曜日の午前中は、保育の現場で
子どもたちと過ごしています。
キリスト教会では、一つには伝道のため、
また、社会に貢献する活動として、
幼児施設を運営しているところが結構あります。
つい2,3日前に、若い男性牧師と幼児施設について話していた時、
「直子先生は、保育園のように長時間子どもを預かる施設について、
反対ですか、賛成ですか?」と聞かれました。
思わず、うーん、と考えてしまった。
うちの保育園は延長保育をしていません。
それでも、朝は7時半から、夕方は6時半まで、子どもを預かります。
こんなに長時間、親と離れていて、
子どもにまっとうな愛着感情が育つのだろうか、と思わないこともない。
でも場合によっては、様々な事情で家庭の中が、
子どもが育っていくにはちょっと厳しい、という時だってあります。
そして日本って、特に母親に対しての目が厳しいと思うのです。
お母さんが大きなプレッシャーの中で、子どもと二人っきりで
一日を過ごすことで、イライラして荒々しい態度になることもあるでしょう。
それくらいなら、大勢の子どもにまぎれて、おもちゃもたくさんあって、
栄養バランスの良い給食も出る保育園のほうが、
子どもにとってはいいのかもしれない。
土日は家族といるわけですし。
けっこう、その場にいた牧師数名と、真面目に話しました。
後になって、自分の中で出た結論は、というと。
保育園の良しあしや、子どもの育ちについての考えは、
それなりにあるけれども、それを正しいとか悪いとかは、簡単に言えません。
でも、目の前に、ひとりの子どもがいるならば、
できることでかかわっていきたい、と思うのです。
わたしは牧師だから、
あなたは神様に愛された子どもだよ、大丈夫だよ、と
よーく、分からせてあげたい。
それだけだなあ、できそうなことは。
澤田直子

プレゼントする、という事

9月です。
あれほど暑かった夏がひと段落して、
朝夕は虫の声が聞こえるようになりました。
9月といえば、
教会では敬老感謝礼拝、
こちらは75歳以上の方が対象になります。
保育園では祖父母様招待会。
0歳から6歳までの子どもたちの祖父母様とくれば、
まあ、若い若い、わたしより若い方もおられます。
教会の礼拝では、祝福のお祈りをして、
ささやかなプレゼントをさしあげて、記念撮影をします。
保育園はもっと大がかり、気合が入ります。
子どもたちは、それぞれのクラスでプレゼントを作りました。
お歌や合奏のプレゼントも、と練習もしてきました。
全員のおじいちゃんおばあちゃんが来られるわけでは
ありませんが、来てくださる方々は、どの子の様子も
喜んで、こぼれんばかりの笑顔で拍手してくださいます。
特に0、1歳児なんかは、
もう、泣こうが歩かなかろうが、可愛い可愛い。
出てくるだけで充分、喜んでもらえます。
2歳3歳になると、緊張のあまり
おふざけする子や、固まってしまう子もいますが、
それもまた可愛い。
4歳5歳は立派です。よくこんなに育ってくれたねえ、という
拍手をあびて、誇らしげな顔がまた可愛い。
考えてみると、子どもって、
こんなにも無条件に喜ばれる場面は決して多くないのです。
どうしても、できる・できないで見られてしまう。
だから、祖父母様招待会ですけれども、実は子どもたちに
「ね、あなたたちは、そこにいるだけで、
皆を幸せにする力を持っているんだよ」と
伝えることができる場でもあるのです。
わたしも、当日はお客様席。
にこにこして大きな拍手をおくりたいと思っています。
澤田直子

神様の家族、ハレルヤ!

今週半ばにご葬儀があり、さすがに少し疲れが出ました。
ところが、思いがけない嬉しいことがあって、
神様ってすごいなあ、と感謝しているところです。
そう、クリスチャンには「偶然」はありません。
事の大小を問わず、全ては神様のご計画と信じます。
保育園の午後のミーティング、武牧師の受洗準備の学び会も終わり、
あとは週末の、保育園からの報告を聞いて一緒にお祈りする時を待ちつつ、
印刷物の準備などしている時に、来訪者がありました。ピンポーン!
平日は圧倒的に保育園へのご用の方が多いので、
あ、誰か来ましたね~、くらいの気持ちで顔を上げたら!!!
前任教会の青年がニコニコと立っているではありませんか。
結婚を前に、結婚カウンセリングまでは終わらせて(楽しかった)
結婚式は5月の予定でしたから、後任の牧師にお願いして、
じゃあね、またね~と、わたしたちは小松川教会へ来たのでした。
その後、年賀状のやり取りはあったものの、
彼は前途洋々、某有名企業のエンジニアで、今は双子のパパとなれば、
公私ともに充実た生活、忙しいであろうことは目に見えています。
まさかここまで会いに来てくれるとは思わなかったのです!
葛飾区にあるご実家に帰省して、葛西臨海公園に遊びに行き、
帰りに寄ってくださったのでした。嬉しかったなあ。
お子さんは後部座席でぐっすり。
これから栃木県まで運転して帰る、ご自分にも疲れがあったでしょうに。
子連れで動くのは大仕事。付き合ってくださった奥様にも感謝、感謝。
「教会」という組織に、時に疲れを覚えたり、
やはり人間の集まりですから、言葉や感情のやり取りに
心が波立ち、困り果てることもあります。
でも、それは家族だから、心が近いから仕方ない。
「関係ない」人だったら何でもないことでも、
関係が深いほど、近いほど、心が揺れ動くものです。
その分、こんなふうに、思いがけない出会いと喜びがある。
特に、7月末からお別れが続いていただけに、
神様から「別れと出会いは同じ数あるはずだよ」と
教えていただいたような気持ちになりました。
澤田直子

キリスト教式のご葬儀

暑さのせいでもないと思いますが、ご葬儀が続いています。
7月の終りに1件、今週末に1件。
どちらもご高齢の方でしたから、ある程度の覚悟はあったものの、
人ひとり天に送るのは、やはり大仕事であり、寂しさがつのります。
教会でのご葬儀の場合、
参列される方の大部分が「初めて教会に来た」ということもあります。
葬儀式で歌われる讃美歌や聖歌を、ほとんどの人が知らないことも。
特に最近好まれている「家族葬」が行われると、
ご遺族がクリスチャンではない場合、讃美歌を歌うのは牧師だけ、
ということもあり得ます。
それでも、参列してくださった方の大部分が、
「キリスト教の葬儀はいいですね」と言ってくださいます。
牧師の説教や遺族や友人の「感話」では、召された方の思い出が語られ、
最後は参列者皆で、棺を花で飾り、ご本人を主役に進められる式だからでしょうか。
キリスト教では「死」をケガレとはとらえませんから、
お清めの塩や、お酒の振る舞いはありません。
むやみにしめやかさを演出したり、悲しみを盛り上げたりせず、
悲しみの中にもどこか明るさがあり、わたしの感覚では
「葬儀」というよりも「お見送り」に近い気がします。
生きるものすべてに訪れる「死」もまた神様の御手の内にあり、
信仰者にとっての「死」は次に神様のもとで会うまでの、一時の別れです。
「四十九日のような法要はどうするのですか」と聞かれることがあります。
キリスト教では、「死」を「召天」と言い表すように、
住まいが地上から天に移ったと考えますし、
ご本人は神様の御許で何の心配も不自由もないはずです。
残された者が、召天者を心配して追善法要的なことをする必要はありません。
でも何もしないのも寂しいので、「記念会」として、節目の時に(一か月とか一年とか)
集まって、思い出を分かち合いながら食事会やお茶会をすることもあります。
そういう機会がなくても、教会の暦には「聖徒の日」があり、
年に一度、その教会に集っておられた方々を思い出し、
今も共に歩む思いを持って礼拝を献げる日となっています。
つまり、教会が存続する限り、祈りが捧げられるのです。
墓前礼拝も「聖徒の日」と「イースター礼拝」の日に奉げられるので、
たとえ後に続く子孫がいないという方でも、無縁ナントカにはなりません。
教会は、ひとつの大きな家族なのです。
キリスト教と聞くと、「外国の」とか「小難しい」とか
拒否反応を示す方に、こんなことも知ってほしいなあ。
澤田直子

夫婦で同じ仕事をする話

・・・暑いですねえ。
もう、どこで誰と挨拶しても、「暑いですね」が枕詞になってる。
今朝の新聞では、「災害級の暑さと認識」という大見出し。
日曜日の夜から、武牧師は三宅島へ行っています。
帰りは火曜日の夜。たぶん10時過ぎるでしょう。
三宅島には伝道所があって、月に一度夕礼拝を行っていますので、
東京教区東支区の牧師が数名、交替で応援に行っています。
小松川教会は2名の牧師がいますので、武師がそのメンバーに入っているのです。
教会に2名以上の牧師がいることを「複数牧会」と言います。
大きな教会では、3人4人と牧師がいることもありますが、
ほとんどは夫婦どちらも牧師、というケースが多い。うちもそう。
365日24時間(はオーバーだけど)一緒です。仕事も家庭も一緒。
・・・と言うと、時々「わあ、いつもご一緒でいいですねえ、うらやましい」
なんて言われますけど、どうでしょう?いいでしょうか?
ホントにうらやましいのかな?
けっこう、大変ですよ、これ。
教会って、というか宗教界は男性社会でして、
今でも女性教職は説教をしない、なんていう教派教会もありますが、
わたしたちは最初から、説教はイーブンです。
講座など教育系は主に直子が、教区や教師会など外系は武が、
これは相談したわけではありませんが、自然にそうなりました。
で、何が大変なのかといいますと。
大変な時期がピタリと重なるわけです。(そりゃそうだ)
どっちかをどっちかがフォローする、ということがない。
あなたの手伝いまで手が回りません、自分のことで精いっぱい、となる。
ですから、一緒に、同じ仕事をしていても、
案外、協力関係にはないのです。後方支援とか、補給支援とか、しない。
もしかしたら、家事に関しての方が、話し合い助け合っているかもね。
少し前に、武牧師の洗濯物の干し方にケチをつけました。
そうしたら武君、おへそを曲げて「もう洗濯干しやんない!」と言いました。
それで直子ちゃんは、「それなら、もう武君の原稿の推敲やんない!」と言いました。
武君は「ごめんなさい、明日も洗濯物干させてください。」と謝りました。
・・・ま、こんな程度ですよ、牧師ったって。
いや、ちょっと待てよ、こんな程度はうちだけで、
よその夫婦教職はもっと助け合って、補い合っているかもしれない。
澤田家限定の話としてお読みくだされば幸いです。ふふふ。
澤田直子