クリスマスは「クルシミマス」?

アドヴェントに入りました。
カトリックもプロテスタントも関係なく、
キリスト教会では、この時期、
片方では、信仰を新たに、丁寧に祈り準備を重ね、
その一方で、世の人々にもなじみのある「クリスマス」を
上手に利用して、福音伝道を一歩でも進めたい、と考えます。
確かに、小松川教会でも、クリスマスイヴ礼拝がきっかけになった信徒さんがおられます。
そこまでいかなくても、教会の外の掲示板にクリスマスリースを飾り、
クリスマスツリーに電飾を入れると、通りがかりにしげしげと見てくださる方も
けっこう多くなります。ついでに案内チラシを持って行ってもらえるとなお嬉しい。
というわけで、教会はアドヴェントに入ると本当に忙しいのです。
クリスマス礼拝で受洗する方がいたりすると、その準備も”ウレシ大変”
小松川教会、浸礼ですので、お湯の温度も心配です。
受洗者がご年配の方だと、なお心配。温度計と首っ引きです。
この季節、いつも思い浮かぶことがあります。
あるクリスマスイヴの日、いろいろな都合が重なって奉仕者が来られなくなり、
わたし一人で、イヴ礼拝の準備をすることになりました。
会堂を掃除して、重いパイプ椅子を運び込んで並べ、
時間を見計らってサンドウィッチを取りに行き、お皿に並べ、
プログラムを並べ、子ども用のペンライトの電池を確認し、
手持ち用のキャンドルも作りました。(その当時は本物のろうそくを使っていました)
とても寒い日でしたが、一人なので暖房も使いづらく、
白い息を吐きながら、時計とにらめっこしながら、
あれを出したりこれを引っ込めたり、忙しく働いているうちに、
何だか切なくなってしまいました。
子ども二人はまだ小さかったので、家でお留守番。
本当なら、クリスチャンの母と一緒に、クリスマスの用意をして、
わくわくしながらも、クリスマスの本当の意味を話したりして。
わたしは、自分の一番大切な子どもたちをほっぽり投げて、
何をやっているんだろう。
でも落ち込んでいる場合じゃない、イヴ礼拝の開始時刻はどんどん迫ります。
その時、はた!と思い当たりました。
クリスマスの夜って、当事者にとっては、
おめでとうどころじゃない、本当に本当に、大変な夜だったのです。
赤ちゃんが生まれそうなマリア、何とか泊まるところを探したいヨセフ。
誰も助けてくれない、いったいどうしたらいいか途方に暮れて、
それでもその時の最善を尽くそうとした二人。
羊飼いだって、一日の仕事を終えて疲れ切って、
焚火を囲んで、うつらうつらしている時に天の大軍が来ちゃったのですから、
まずは驚く以外にどうしようもなかったでしょう。
そんなことを考え出したら、
あれ、このクリスマスは、ものすごくリアルなクリスマスなのでは?
と気が付きました。だからといって急に元気が出たわけでも
なかったのですが。
ところで。保育園ではこの時期、何と言ってもページェントです。
2歳児は「宿屋さん」役です。ふり付きで、
「どこのお部屋もいっぱいですよ、となりの宿屋へ行ってください」と
セリフを言って、3軒めで「うまごやならばあいています」なのですが。
どうも、子どもたち、マリアとヨセフを泊めてあげたい気持ちが強いようで、
主任の先生が「じゃあ、先生がマリアさんの言葉を言うからね」と練習させようとしたら、
1軒めでいきなり「さあさあどうぞ、お入りください」となっちゃった。
そうだよねー、ほんとは泊めてあげたいんだよね。と、
笑いながらもちょっとしんみりしちゃったのでした。
澤田直子